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神楽坂雲如の妄想図書館

日々の妄想を書き綴った笑いと狂気のブログです。 妄想ですので本気にしないでください。

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江崎 源八郎について

江崎源八郎は、上総に生れ、江戸で剣術と兵法と陽明学を学びその才気は並ぶものなく、藩主からも希にみる逸材と期待されていたが、好事魔多し、彼の才気に嫉妬した(美貌に血迷ったという説もあるが、後に述べるように彼は男前ではない)同僚の策謀に陥り、失脚。

失意の源八郎は酒色に溺れ、ついには刀を捨て、旅芸人にまで身を落すことになってしまったが、浪々の旅中に遭遇した苛斂誅求、残虐非道の悪政に義侠心が 蘇り、百姓一揆に参画。その知力、胆力、武力は衆を驚嘆させ、以来、一揆の参謀として各地に招かれ、戦いを指導し勝利に導くが、そのたびに大衆の姑息さ愚 かさに何度となく失望し、やがて高慢さや独断専行が目立つようになって百姓の信頼が薄れて孤立した。

加えて若気の至りの報いである花柳病が進行し、体力気力が衰え、「人は見限るわが身は怯む」といった状態となってしまい、もはやこれまで、やるだけやったと故郷に帰って3年後、乞食同然の極貧のうちに死んだ。享年37歳。

皮肉にも、窮死した数年後に、彼が施した深淵深慮が各地で効を奏し、偉人江崎源八郎の名がとどろいた。はるばる奥州の寒村から彼の知謀を求めて訪ねてき た百姓源八郎(偶然にも同名であった)は、
江崎源八郎がすでにこの世にないこと、悲惨なその晩年のありさまを聞き、「ああ月も泣く花も泣く、山も案山子も野原 も田圃も、みんなみんなみんな江崎源八郎を呼んでいる」と歌った。

奥州の百姓源八郎は、帰路、
江崎源八郎の滞在した各地を訪れてその功績言行を収集、研究し、帰省後一帯の百姓を糾合し、大規模な一揆を企てるが、敗れて磔となる。

後世、江崎源八郎と百姓源八郎は混同され、江崎源八郎は磔で死んだと誤られた。

また、歌舞伎役者のような美貌であったという説が流布されたが、江崎源八郎は蟹源という渾名があったことから、蟹のような平べったい、お世辞にも美貌とは言いがたい顔つきだったらしく、たしかに旅芸人一座に属していたが、役者ではなく、三味線弾きであったらしい。
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プロフィール

HN:
神楽坂雲如
性別:
男性

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